2019年も快晴でした。新年早々、富士山も綺麗に見えました。
二人の娘達は、晴れやな青空にむかってシャボン玉で遊んでいます。寒さなんて子供達には関係ないようで、ずっとシャボン玉を飛ばしていました(ときに部屋の中に飛ばしていました。それは勘弁ですが)。
青空に飛ぶシャボン玉は綺麗で、いつの時代の子供達にも、シャボン玉は楽しい遊びのようです。
皆様、遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます。
皆様のおかげで今年も無事に新しい年を迎えることができました。清澄白河の病院は、この3月で3年が経ちます。獣医師は男女の3人となり、50歳の私から40歳、30歳とバラエティにとんでいます。皆様のご希望に柔軟な対応ができるよう今後も努力していきたいと思いますので、何卒よろしくお願いいたします。
年始は私達の夫婦の実家や祖母の自宅へ行ってきました。
私の実家は千葉なのですが、幼少期は同年代の子供達で溢れていた地域ですので、幼少時は年末年始になると静かになっていたものですが、最近は子供達が親御さんの元へ遊びに来るようになっています。実家には時折顔を出してはいたのですが、今回は家族で1泊させてもらいました。
二人の娘達にはどこへ行っても新鮮な場所、すなわち遊び場
であり、階段を登った2階の部屋、寝室にある三面鏡や足ふみミシンなど、全てが楽しくてしようがありません。50年前の販売された土地ですから、小さいながらも庭があります。周りには畑もあることから、鳥達が糞とともに種を落としていくせいなのか、様々な草木が生えています。庭に出ると、この季節はマンリョウが綺麗な赤い実をつけており、二人は嬉しそうに落ちている実を集めています。落ちたばかりの張りのある綺麗な赤い実を集めては、「ブドウ、ブドウ!」と言っています。一方、少し時間の経った表面のシワがある実は、「イチゴ、イチゴ」と言って器のなかに集めています。
二卵性の娘達は確実に性格が異なり、
上の娘(1分早く生まれただけですが)は集めた実をこんなにいっぱい集めたよとばかりに見せてくれます。下の娘は沢山集めた実を嬉しそうに、見せる素振りをして、見せてくれる前にその場に勢いよくばらまいてキャッキャッと笑っています。どちらが自分に似た性格なのか、それは秘密です。
両親は50年前に東京から千葉へ越してきました。
中学生の時に建て替えをしたので、今の家も35年は経過しています。35年も経てば、家具 も電化製品も壊れていくのですが、当時と全く変わっていないのが、2階のトイレと台所のシンクです。トイレは洋式トイレが出始めた頃ではないでしょうか。その前の家では和式でしたので、洋式トイレというだけで、すごく嬉しかった記憶がかすかに残っています。今回はかつての自分の部屋、すなわち2階の部屋に泊まり、
2階のトイレを使ったところ、ハッと気がつかされました。
トイレもシンクも、今のトイレやシンクに比べると低いのですね。5センチ?程度低いのでしょうか。トイレは座り心地が悪く、出るものも出ないような気がします。この家が建てられた当時に比べると日本人の平均身長は3センチ程度伸びているようです。おそらくメーカーも使いやすさを研究しているのでしょう。こんなところで小さな昭和を感じてしまいました。
実家には80歳になる母親が住んでいる
こともあり、子供達が楽しめる近代的な遊び道具はありません。ですが、子供達には近代的な遊び道具は必要なく、家の中では折り紙をしてもらいました。折り紙は今の時代でも普通でしょうか。鶴や風船を折ってあげると二人にとっては非常に新鮮!大変喜んでいました。しかし大変なことがあります。一つでは喧嘩になるので、絶対に二つ折らなければいけないんですよ。情けない話ですが、鶴の折り方をすっかり忘れてしまいました。奥さんや母親にお願いして大至急もう一つ折ってもらいました。
幼少期から大学入学までは千葉で生活
していましたが、いろいろなことが目まぐるしく変化した時間でした。子供ですから自分中心だったと思いますが、それでも時代の進歩は感じていました。一家に一台あった車ですが、当初の車ではエアコンはオプションでした。車は勿論カローラです。今では車にエアコンがついていないことはありません。それどころか、今は車を持たない時代になってきました。扇風機が普通な時代から、家にエアコンが普通についている時代へ。エアコンがなければ熱射病になってしまう可能性があるくらいですから、今では命に関わるくらいの必需品です。
子供の頃は、アイドル全盛期でお気に入りのアイドルのレコード
を買っていました。今ではCDどころか、音楽はダウンロードです。子供の頃にビデオデッキが発売されました。VHSとベータがあり、自宅はIt’s a SONYでしたので、ベータでした。父親は新しいもの好きで、ベータマックの1号機から購入していました。自分の家だけかもしれませんが、よく壊れていました。それも普通でした。その当時はテレビ番組が録画出来るということが、子供ながらにワクワクしていました。それから少し経って、レンタルレコード店でビデオレンタルも始まりました。何もかもが新鮮でした。最近、復活していますが、
「写ルンです」が発売されたのも昭和でした。
画期的でした。なんと言ったってカメラが小さい。さらにカメラを忘れても、その場で購入することが出来るんですよ。時代とともにフィルムカメラを使用することはなくなり(つい10年、20年前まで普通に使用されていましたが)、今ではデジカメどころか、スマートフォンで撮影するのが普通になってしまいました。ビックリですが、2歳の娘達は、スマートフォンが手の届くところにあると、カメラを起動して、自分達が興味をもつ対象を撮影しています。オートフォーカスですから、結構綺麗に撮れるんですよ。さらに子供の感覚が凄い。決して邪念の入った自分にはない感性を持っています。
大学生からの30年間は、好き勝手にさせてもらった時間でした。
自分がしたいように仕事をして、仕事を変えて、そしていろいろな人達と出会いました。20代、30代、40代と、そのときの年齢にあった感性のなかで、楽しい時間を送ることが出来ました。あっという間の「平成」でしたね。社会という中で、自分が何をしたいのかを探しているそのような時間でした。
今年は新しい元号になります。
新しい元号に変わったからといって、自分の周りが、病院の環境が、日本自体が劇的に変わるとは思いません。3つの時代を過ごしていると、これから生まれてくれる新しい命から見ると、自分に当てはめると明治生まれの人達になるわけですよ。本当に申し訳ありませんが、自分から明治時代は全く分からない未知のときであり、これからの時代の人達には私達はその長老に当てはまってくるわけです。時間以上に物事の進むスピードは速く、全てのことに追いつくことは難しい時代になっています。年齢を重ね、気がつけば30年という経験から、これからは20代、30代、40代の人達が楽しめる環境作りをする立ち位置になってきているのかもしれません。社会という大きな枠組みを変えるなんてそのようなことは出来るはずもありません。まずは身の回りから。
家族、病院、そして自分達に関わる人達が楽しい時間を過ごせる、そんな環境を作っていく1年にしたいと考えています。