先日、ふとした時に考えてみたら、全ての科を診察していた一般臨床の期間と、皮膚科専門で仕事をしている期間が、同じになっていました。時が経つのは本当に早いものです。
大学を卒業後は牛の獣医師をしていたのですが
(外見から今でもそちらの方が似合っているのではと思っていますが)、牛と犬や猫の診療では全く違って大変だったのではないですか?としばしば質問を受けることがあります。牛には胃が4つあったり、草を主食として食べたりと、構造や食生活は異なりますが、病気に関する考え方はさほど違いがないのではと感じています。牛の獣医師で培った考え方というものが、現在でも診療における考え方の基本になっているような気がします。
北海道での牛の診療では、乳牛を中心に診察をしていました。
食欲不振の主訴の場合、触診として、まずは体を触るようにしていました。乳牛を含めた牛の診療では、五感が非常に大事でした。その後、心臓を聴診し、胃の動きも聴診器で確認をします。乳牛では4番目の胃にガスが貯まり、通常の位置とは異なる部位へ移動することによる食欲不振が多いことから、4番目の胃が通常の位置から移動していないかを確認するために、胃のガスを評価するための聴診を行います。直腸検査と言って、肛門から腕を入れて、お腹の中を触ることによって、異常がないかも実施します。
この日もある酪農家から「食欲不振」の連絡が入りました。
体を触り、特に異常はなく、聴診でも異常がなかったと記憶しています。肛門から腕を入れる直腸検査も実施したような記憶があります。残念ながら何も異常がありませんでした。大学生の頃より、丁寧に診ることを指導されていたので、農家から食べ方がおかしいとの話を聞いていたことから、口の中、とくに歯に異常があるのではと思っていました。犬や猫では口の中を診るときに、まずは口を開けて診るのですが、牛では一人で口を開けて様子を観察するのは不可能なんです。
そこで開口器っていう道具を使います。
口の中に入れた開口器を一人が保定し、もう一人が口の中を確認するようにしています。往診車に開口器は積んでいなかったし、そもそも一人で診療をしているので、開口器は使えないんですね。大学時代に一人で口の中を診る方法を教えてもらったことがあります。今では動物愛護の観点から実施してはいけないと言われるのかもしれませんが、先人の知恵として、牛の舌をつかみ、口の外へ引っ張ります。舌を左側から引っ張り出したり、右側から引っ張り出したりするのです。牛もさすがに自分で自分の舌を噛むのは痛いので、口を開けてくれているので、そのようにして反対側の手を口の中に入れて、口の中や歯の様子を触って確認します。
その頃の私は非常に真面目でしたので、
食べ方がおかしいということで、牛の舌を右手でつかみ、口の左側から外へ引っ張り出し、左手でまずは右側の歯を確認して・・・何も問題ありませんでした。次に牛の舌を左手でつかみ、口の右側から外へ引っ張り出し、右手では左側の歯を確認して・・・牛が動き出した勢いで何と左手から舌がするすると抜けてしまったのです。
私は最大の過ちを犯してしまいました。
舌をつかむときには力が入るよう軍手をはめなければいけないのですが、なんと素手でつかんでいたのです。ときはすでに遅し、私の右手は見事に牛に噛まれてしまいました。何とか手を抜いたのですが、人差し指と中指は血だらけとなりました。病院へ行き、処置をしてもらい、狂犬病のワクチンも打たれました。そこからは2週間ほどまともに仕事ができず、職場の皆様には迷惑をかけました。しかし、職場の皆様は寛大でした(真実は分かりませんが、嫌みは全く言われませんでした)。皆さんは私を笑いのネタにされ、往診先、往診先で
「村山が牛に噛まれたんだって!」
と言いふらしてくれました。そりゃそうですよね。普通に考えたら噛むことはないわけですから牛が。後にも先にも牛に噛まれた数少ない獣医師(人間?)ではないかと自負しています。
年齢を重ねるにつれ、その人の背景や周囲の環境などに配慮しすぎる
せいなのか、コミュニケーションに悩むことがときにあります。日常の診察の際にでも、こちらの意図が十分に伝わっているか、など考えることがあります。全てのことに関して、上手にコミュニケーションが取れているかは定かではありませんが、少なからず今の自分の原点は農家の方達とのコミュニケーションにあるのではないかと感じることがあります。
彼らは一国一城の主であり、一つ一つの行動に生活がかかっています。
牛が一日働かなくなれば、その分利益が減るわけです。卒業したばかりの自分みたいな経験が十分でない獣医師が行くことと、経験豊富な獣医師が行くのであれば、絶対に経験豊富な獣医師に来てもらったほうが良いに決まっています。理論だったコミュニケーションを学んだわけではありませんが、おそらく距離感を感じていたように思えます。真面目な話をする場合、冗談な会話をしているときなど、人によっても変わりますし、内容によっても変えていたのではないかと感じています。
農家の方々からは「生意気だ」と言われていました。
自分より目上の人達に対して普通にタメ口で話をしていたからだと思います。決して良いことではないかもしれませんが、それが自分のコミュニケーションの取り方なのでしょう。それは今でも変わっていません。清澄白河の病院は小さな病院です。ご家族は治らない犬や猫を抱えて来院されます。その中で少しでもあたたかい気持ちで帰って頂けるよう、アットホームな環境作りをこれからも考えて行きたいと思います。
人は20代に3人ほど自分の人生に影響を与える人に遭遇する
という話をいつか誰かから聞いたことがあります。20代の半分は大学生、残りの半分は社会人でした。実は最初の3年間に仕事を4つも変えていることから、様々な方との出会いがありました。20代で自分の人生に影響を与えた人・・・いたような、いなかったような。今振り返る必要はないのかもしれませんし、別に3人に決める必要もありません。
皮膚科専門病院で一緒に働いていた同僚がいます。
彼女は学年では二つ上、年齢は一つ上ですが、生意気な私は普通にタメ口でした。非常にバランスの取れている人間で、どんなに辛いことでも笑顔で対応していました。文句も言っていましたが、言葉に棘がなく、常に周りに優しい空気が流れていました。自分にはないものを持っているなと感じていました。皮膚科専門病院を辞めるにあたって、彼女は自分が描いた絵をプレゼントしてくれました。一匹の猫と一羽の鳥が仲良くしている、彼女の性格が表現されている、優しい空気の流れている絵です。自分の性格を考えると彼女のような雰囲気を作ることは難しいかもしれませんが、あのような雰囲気作りはこれからの自分の人生の模範になることはきっと間違いありません。